足助の古民家リノベーションは、解体が終わり揚家工事が無事に終わりました。
これから、基礎工事に入っていきます。
さてここで、今回は揚家工事について書こうと思います。
揚家(あげや)とは、どんな工事かと言うと、読んで字のごとく「家を上げる」工事です。
えっ!!家って持ち上げることができるの??と思う方も多いと思いますが、曳家・揚家専門業者さんがいるくらい建築工事としては認識されています。
とはいっても、昭和の後半からは解体して建替えること普通になってしまったので、ほとんど揚家工事を観ることはなくなりました。
今回の物件は、重要伝統的建造物群保存地区の伝統的建造物に指定されているので、保存・修理をするために揚家をしました。
揚家工事をした写真がこちらです。
赤矢印のところが柱の足元です。家が持ち上がっていることが分かるでしょう。
今回の揚家は、柱と柱を鉄骨で両側から挟み込んで、その鉄骨を箱ジャッキで少しずつ持ち上げて、
枕木を1段ずつ鉄骨の下に積み上げて家全体を浮かすのです。
その時に使うジャッキが、先述の「箱ジャッキ」と呼ばれるものです。
油圧ジャッキと同じですが、これは建築工事用に作られたものです。
この箱ジャッキを使って持ち上げたんです。
建物全体を一度に揚げることはできないので、部分的に少しずつ揚げて、最終的に家全体が持ち上がるという訳です。
少しずつ持ち上げていく工事なので、揚家工事が無事に完了できたのは1週間後でした。
建物自体の損傷がかなり激しかったので、揚家工事している時に崩れないか不安でしたが、さすがは揚家専門業者さんですね。
無事に家を持ち上げる事ができました。
この後は、基礎工事と柱の足元の損傷があるところは新しい柱に継ぎます。
これらもまた、職人技です。楽しみですね。
上の写真を見て、「これは何か分かりますか?」と聞かれれば、多くの人は「鉋(かんな)」と言うでしょう。
そして、「誰が使う道具ですか?」と聞かれれば、「大工さん」と多くの人は答えるでしょう。
正解です。
ただ、鉋を使うのは大工さんだけではありません。他の職人さんも使う道具なのです。
今日は建具屋さんが使うちょっと変わった鉋を紹介します。
この鉋が変わっている所は削る刃が、鉋の細い面に付いている事です。
みなさんがイメージする鉋は最初に観ていただいた写真のように、広い面に削る刃が付いています。
もちろん、建具屋さんも広い面に刃が付いている鉋も使いますが、写真のように細い面に刃が付いている鉋も使っているんです。
この鉋であれば、角の端っこまで鉋で仕上げる事ができます。
実は建具って、繊細な建築のアイテムなんです。
だから、細くて隅までキッチリ仕上げる必要があるんですね。
大工さんの鉋と建具屋さんの鉋が違うように、他の職人さんの道具もその職業に求められる技術を可能にするためにいろいろな形をした道具があります。
それらを見るといろいろな工夫や知恵があって面白いですね。
みなさん、ゴールデンウィークはいかがお過ごしだったでしょうか。
私はおかげさまで、仕事で半分以上が終わってしまいましたが、
そんな中、京都市へ梨木神社とただいま公開中の風神雷神の屏風と葛飾北斎の富嶽三十六景などを観る目的で日帰り旅行に行きました。
風神雷神の屏風も葛飾北斎の富嶽三十六景もこの歳になったからなのか、言葉にできない感動でした。
また観たい!何度も観たい!ずっと観ていたい!という気持ちになりました。
そして、梨木神社がとても良かったんです。
梨木神社には「京都三名水」と呼ばれる「染井」がある神社なんです。
水の味の違いなんて、分かるほど違わないだろうと思って飲んでみたら、、、、、、、、
全然違った!!! 美味しい!!!
その水を使っているかどうか分かりませんが、境内の中にカフェがあり、縁側で一服のカフェをいただきました。
若葉の新緑がとても綺麗で贅沢な時間でした。
風とガレの設計には、いつもデッキを計画して庭で過ごす時間を持てるようにしています。
庭を愛でる時間を暮らしの中に持てると楽しい暮らしになると考えています。
久しぶりのブログになりますね。
2月から淡路島で古民家の改修するプロジェクトが始まりました。
改修する古民家を2月初めに見学に行き、改修することが決まりました。
古民家は昭和23年に建てられたもので、貫禄のある大黒柱やガッチリした丸太梁が健在でした。
そして、何と言っても、そのロケーションが抜群!
この写真は敷地西側の景色です。
高台にあるこの敷地からの眺望は、山々が見える合間に海が見えるんです。
山と海、そして気候の良いときであればその先の瀬戸内の島が見えるかもしれない。
きっと夕焼けが綺麗な時は絶景なのでしょう。
設計するのがとても楽しみです。
先日、地縄を張った現場の地盤調査を行いました。
実は、建築物を建てる時は地面も重要なんです。
地盤調査は何を調査しているかと言うと、建築物が建つ場所の地面の耐力を調べます。
建築物が建つ場所の地面の耐力が低いと建築物が完成してから、地面が建築物の重力に耐える事ができなくなって建築物が少しずつ沈下してしまうのです。
そのことを「不動沈下」と呼ばれています。
不動沈下が起こるとどうなるかと言うと、建築物が傾いてしまいます。
つまり、ピサの斜塔のようになってしまうのです。
ピサの斜塔は偶然にも塔の南側の地盤と北側の地盤の耐力が極端に違ったため、南側が沈んで北側はそのままとなり、斜めになってしまったのです。
この様に地面の耐力が低いと建築物が傾いてしまいます。
その様にならない為にも地面の耐力を調べて、建築物が完成した後も不動沈下しないように対策を取ります。
地面の耐力が高ければ、地面に基礎工事をします。
もし、地面の耐力が低ければ、地盤改良をして、地面の耐力を人工的に高くします。
地盤改良をすることで建築物が建ってからも不動沈下を起こさずに済みます。
風とガレは、お客様の大切な住宅を一つひとつ確認しながら工事を進めていきます。
今回のブログは久しぶりに建築作品の紹介です。
今回紹介するのは、岡崎市にある『伊賀八幡宮』です。
伊賀八幡宮は、岡崎城と徳川家と深い関りを持つ大樹寺を結ぶ南北の直線上のほぼ中央に位置します。
松平4代目の親忠公が1470年(文明2年)に松平家の守護神として創建されました。
現在の本殿は松平9代目の家康公の命で造営されたものと言われています。
家康公は崇敬していたため、大きな戦の前には必ず伊賀八幡宮を詣でられたそうです。
岡崎市の伊賀八幡宮は、権現造りになっています。
権現造りとは、日本の神社建築様式の1つで、本殿と拝殿の2棟の間に「石の間(いしのま)」と呼ばれる一段低い建物(幣殿)を設けてあり、屋根を一体化させた様式です。
前方は拝殿、後方が本殿となっている。
なので、上の写真は拝殿が写っています。
現地は写真を撮影した場所より中には入れないので、本殿の姿は見えません。
境内の鳥瞰案内図で、何とか屋根が一体化していることが分かる感じです。
岡崎市の伊賀八幡宮には、国の重要文化財(建造物)が8つもあります。
その中でも「随神門」は、鮮やかな彩色に彩られており、建築物としても大きくて圧巻です!
岡崎市の伊賀八幡宮には、もう1つ見るべきものが存在していました。
それは、、、、、、、、「さざれ石」です。
日本の国歌「君が代」に歌われている「さざれ石の巌となりて」にある「さざれ石」があるのです。
伊賀八幡宮へ行かれた時は、建築物だけでなく、こちらの「さざれ石」も観てくださいね。
いよいよ工事が始まる現場があります。
家を建てる時に最初にすることは、敷地に縄を張って家が建つ場所の位置を確認します。
それを、「地縄張り」と呼びます。
まずは、家の角になる2点を確定させます。
そして、その2点から外壁ラインに合わせて縄を張っていきます。
当然ですが、外壁の角が直角になるように縄を張っていかなければいけません。
どうやって直角にするかと言うと、大きな直角三角形を作って、角にその大きな直角三角形を当てて縄を張っていきます。
今の時代であれば、デジタル機器を使って地縄を張ることもできますが、昔ながらの方法で地縄を大工さんと張りました。
昔は藁縄などだったと思うのですが、今はビニール紐を使うことがほとんどです。
ビニール紐は白色なので、地縄を張ると見やすいです。
お客様に家の建つ位置を確認してもらったら、次は地盤調査です。
家を支える地盤を確認することも大切です。
昨年末に完成した足助町新町自治会の天王社さん。
本日、自治区の皆さんが参加されて、竣工式が行われました。
始まる少し前から雪交じりのみぞれが降る中の竣工式となりましたが、
大雨になることなく無事に終える事ができました。
みぞれの降る中の竣工式は、後年雑談の時に「あの時はみぞれが降って寒い日だったね~。」とみなさんの思い出に残ると思います。
足助町新町のみなさん、天王社竣工、おめでとうございます。
みなさん、明けましておめでとうございます。
昨年はみなさんからたくさんの刺激をいただき、新しい事へ挑戦できた年でした。
今年2025年は『夢を実現する』年にします。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年ゴールデンウイーク明けてから工事着工しました足助町新町・天王社さんが無事に竣工しました。
規模は大きくない社寺ですが、ゆったりとした構えは日本建築の特徴だと思います。
最近は屋根が小さい建物が多いですが、軒先を伸ばし、屋根の側(けらば)も大きく取ると安定感のあるゆったりとした感じに見えます。
もちろん意匠の事だけでなく、屋根が大きいと風雨から外壁を守る範囲も広がります。
正面建具も当初は古色塗する予定でしたが、建具を桧材で製作したところお客様が凄く気に入っていただき、古色塗するのが勿体ないと言う事になり、クリア塗装になりました。
社寺建築のおおらかな感じが残せたこと、お客様が喜んでいただけたことがとても嬉しかったです。
今月初めに、民家をリノベーションする計画のある物件の現地調査へ行きました。
近所にはまだ茅葺き屋根が残っているほのぼのとした中山間地域です。
改修計画をするにあたり床下を見ておきたかったので、畳を捲っていると、、、、、、、。
何と、囲炉裏の跡が出てきました!!!
民家にとって囲炉裏はどのような存在だったのかを簡単ですが説明しますね。
まず、「囲炉裏(いろり)」という言葉は、室町時代にできたと言われています。
囲炉裏以外にも地方によって呼び名はいろいろありますが、意味するところは火所、人の居場所を表しているそうです。
そして、皆さん聞いてびっくりするかもしれませんが、住まいに設けられた最初の設備なんです。
人類が「火」を扱うようになって歴史が変わったことはご存知だと思います。
それを考えるとなるほど!と思いませんか。
囲炉裏のある所は、食事・団らんの場所・人が集まるところですね。
それは、囲炉裏が炊事、採暖、乾燥、照明などの機能として人の生活の中にあったからです。
それ以外にも歳末や新年、あるいはお産などの行事や儀式めいたことなども囲炉裏のある部屋で行われていたそうです。
囲炉裏は、人の生活の中で欠かすことのできない存在だったことが分かりますね。
建築的要素だけでなく、むしろ民俗的要素の方がたくさんありそうですね。
囲炉裏についていろいろ調べてみると面白かもしれませんね。
参考文献:滅びゆく民家「間取り・構造・内部」川島宙次著
今年4月からスタートした『京都市文化財(建造物)マネージャー育成講座』が先週末で終わりました。
先週末の最後の講座では、修了課題の発表を無事に終え、はれて『京都市文化財(建造物)マネージャー』の資格を取得する事ができました。
4月から月2回の講座でしたが、実習の課題と修了課題の作成があり、結構ハードでした。
それでも、一緒にそれらの課題に取り組んだ仲間にも恵まれて、無事に全講座を修了する事ができました。
修了課題で調査した「Bridge Studio」さんは、昭和9年に上棟した和洋併置の建物で、調査した限りでは当初の形からほぼ変わっていな状態でアートギャラリーとして活用されています(2024.08.17時点)。
今は外国の芸術学生さんが泊まり込みで芸術作品を作成して発表する場になっています。
僕にとっては思い出の建造物になったので、京都旅行したら恐らく立ち寄る建築物になりました。
ぜひ、みなさんも京都に行って時間がありましたら覗いてみてください。和洋併置された良い建築物ですよ。
もう一つ。実はここの近所にある「洋菓子の店 オオマエ」のアップルケーキは絶品です。ぜひ、こちらもご試食あれ。
Bridge Studio:京都市左京区浄土寺東田町69