今回のブログは久しぶりに建築作品の紹介です。
今回紹介するのは、岡崎市にある『伊賀八幡宮』です。
伊賀八幡宮は、岡崎城と徳川家と深い関りを持つ大樹寺を結ぶ南北の直線上のほぼ中央に位置します。
松平4代目の親忠公が1470年(文明2年)に松平家の守護神として創建されました。
現在の本殿は松平9代目の家康公の命で造営されたものと言われています。
家康公は崇敬していたため、大きな戦の前には必ず伊賀八幡宮を詣でられたそうです。
岡崎市の伊賀八幡宮は、権現造りになっています。
権現造りとは、日本の神社建築様式の1つで、本殿と拝殿の2棟の間に「石の間(いしのま)」と呼ばれる一段低い建物(幣殿)を設けてあり、屋根を一体化させた様式です。
前方は拝殿、後方が本殿となっている。
なので、上の写真は拝殿が写っています。
現地は写真を撮影した場所より中には入れないので、本殿の姿は見えません。
境内の鳥瞰案内図で、何とか屋根が一体化していることが分かる感じです。
岡崎市の伊賀八幡宮には、国の重要文化財(建造物)が8つもあります。
その中でも「随神門」は、鮮やかな彩色に彩られており、建築物としても大きくて圧巻です!
岡崎市の伊賀八幡宮には、もう1つ見るべきものが存在していました。
それは、、、、、、、、「さざれ石」です。
日本の国歌「君が代」に歌われている「さざれ石の巌となりて」にある「さざれ石」があるのです。
伊賀八幡宮へ行かれた時は、建築物だけでなく、こちらの「さざれ石」も観てくださいね。
いよいよ工事が始まる現場があります。
家を建てる時に最初にすることは、敷地に縄を張って家が建つ場所の位置を確認します。
それを、「地縄張り」と呼びます。
まずは、家の角になる2点を確定させます。
そして、その2点から外壁ラインに合わせて縄を張っていきます。
当然ですが、外壁の角が直角になるように縄を張っていかなければいけません。
どうやって直角にするかと言うと、大きな直角三角形を作って、角にその大きな直角三角形を当てて縄を張っていきます。
今の時代であれば、デジタル機器を使って地縄を張ることもできますが、昔ながらの方法で地縄を大工さんと張りました。
昔は藁縄などだったと思うのですが、今はビニール紐を使うことがほとんどです。
ビニール紐は白色なので、地縄を張ると見やすいです。
お客様に家の建つ位置を確認してもらったら、次は地盤調査です。
家を支える地盤を確認することも大切です。
昨年末に完成した足助町新町自治会の天王社さん。
本日、自治区の皆さんが参加されて、竣工式が行われました。
始まる少し前から雪交じりのみぞれが降る中の竣工式となりましたが、
大雨になることなく無事に終える事ができました。
みぞれの降る中の竣工式は、後年雑談の時に「あの時はみぞれが降って寒い日だったね~。」とみなさんの思い出に残ると思います。
足助町新町のみなさん、天王社竣工、おめでとうございます。
みなさん、明けましておめでとうございます。
昨年はみなさんからたくさんの刺激をいただき、新しい事へ挑戦できた年でした。
今年2025年は『夢を実現する』年にします。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年ゴールデンウイーク明けてから工事着工しました足助町新町・天王社さんが無事に竣工しました。
規模は大きくない社寺ですが、ゆったりとした構えは日本建築の特徴だと思います。
最近は屋根が小さい建物が多いですが、軒先を伸ばし、屋根の側(けらば)も大きく取ると安定感のあるゆったりとした感じに見えます。
もちろん意匠の事だけでなく、屋根が大きいと風雨から外壁を守る範囲も広がります。
正面建具も当初は古色塗する予定でしたが、建具を桧材で製作したところお客様が凄く気に入っていただき、古色塗するのが勿体ないと言う事になり、クリア塗装になりました。
社寺建築のおおらかな感じが残せたこと、お客様が喜んでいただけたことがとても嬉しかったです。
今月初めに、民家をリノベーションする計画のある物件の現地調査へ行きました。
近所にはまだ茅葺き屋根が残っているほのぼのとした中山間地域です。
改修計画をするにあたり床下を見ておきたかったので、畳を捲っていると、、、、、、、。
何と、囲炉裏の跡が出てきました!!!
民家にとって囲炉裏はどのような存在だったのかを簡単ですが説明しますね。
まず、「囲炉裏(いろり)」という言葉は、室町時代にできたと言われています。
囲炉裏以外にも地方によって呼び名はいろいろありますが、意味するところは火所、人の居場所を表しているそうです。
そして、皆さん聞いてびっくりするかもしれませんが、住まいに設けられた最初の設備なんです。
人類が「火」を扱うようになって歴史が変わったことはご存知だと思います。
それを考えるとなるほど!と思いませんか。
囲炉裏のある所は、食事・団らんの場所・人が集まるところですね。
それは、囲炉裏が炊事、採暖、乾燥、照明などの機能として人の生活の中にあったからです。
それ以外にも歳末や新年、あるいはお産などの行事や儀式めいたことなども囲炉裏のある部屋で行われていたそうです。
囲炉裏は、人の生活の中で欠かすことのできない存在だったことが分かりますね。
建築的要素だけでなく、むしろ民俗的要素の方がたくさんありそうですね。
囲炉裏についていろいろ調べてみると面白かもしれませんね。
参考文献:滅びゆく民家「間取り・構造・内部」川島宙次著
今年4月からスタートした『京都市文化財(建造物)マネージャー育成講座』が先週末で終わりました。
先週末の最後の講座では、修了課題の発表を無事に終え、はれて『京都市文化財(建造物)マネージャー』の資格を取得する事ができました。
4月から月2回の講座でしたが、実習の課題と修了課題の作成があり、結構ハードでした。
それでも、一緒にそれらの課題に取り組んだ仲間にも恵まれて、無事に全講座を修了する事ができました。
修了課題で調査した「Bridge Studio」さんは、昭和9年に上棟した和洋併置の建物で、調査した限りでは当初の形からほぼ変わっていな状態でアートギャラリーとして活用されています(2024.08.17時点)。
今は外国の芸術学生さんが泊まり込みで芸術作品を作成して発表する場になっています。
僕にとっては思い出の建造物になったので、京都旅行したら恐らく立ち寄る建築物になりました。
ぜひ、みなさんも京都に行って時間がありましたら覗いてみてください。和洋併置された良い建築物ですよ。
もう一つ。実はここの近所にある「洋菓子の店 オオマエ」のアップルケーキは絶品です。ぜひ、こちらもご試食あれ。
Bridge Studio:京都市左京区浄土寺東田町69
前回のブログで豊田市足助町新町・天王社さんの屋根工事が完了した記事を書きました。
僕の好みになるのですが、和瓦の波のような曲線がリズムよく並んでいる屋根は美しいなぁと思ってしまいます。
波のような曲線の湾曲したところに雨水が集まって、流れていく仕組みになっています。
この波のような曲線を持つ瓦ですが、その先端はどうなっているのでしょうか?
みなさん、見たことがありますか?
和瓦の下は板張りになっていてその板張りの上に瓦を釘留めする桟があります。
それらはいずれも直線の部材です。
直線の上に曲線を乗せると隙間ができますよね。
この様に瓦の曲線と屋根の直線部材との隙間を、総称して「面戸(めんど)」と呼びます。
なので、この軒先の隙間も「軒先面戸(のきさきめんど)」と呼びます。
「軒先面戸」には、もう一つ「雀口(すずめくち)」という呼び名があるのです。
この軒先の隙間に、雀が巣を作ることがあるため「雀口」と呼ぶようになったそうです。
写真では、雀が巣を作ったり、虫などが入らないように漆喰を詰めています。
漆喰のほかに木材を瓦の曲線に合わせて削って作った軒先面戸板などもあります。
それにしても、「雀口」って名前がかわいいですね。
秋分の日が過ぎて、少しずつ日が短くなってきました。
その分気温も少しですが、下がったように感じますね。
足助町新町の天王社さんの屋根工事が完了しました。
いぶし銀の和瓦が葺き終わり、最頂上の鯱が据わりました。
工事前の鯱は胴体部分は残っていましたが、尻尾や顎が破損している状態でした。
(下の写真の赤矢印部分)
2体の鯱の残っている部分を参考に修復してもらいました。
天王社さんの最も大きな工事が終わりました。
いよいよ完成が近づいてきました。
以前からの材を再用しながら、新規材も取り入れた天王社さんの完成が楽しみですね。
時間が経つのもあっという間で、
2週間が経った先週末は京都市文化財マネージャー育成講座に参加してきました。
講座の後に、修了課題を一緒に作成するメンバーと修了課題について打合せ!!
その打合せ場所が、「京都を彩る建物」に認定されている九条湯!
外観は昔ながらの銭湯の姿をそのまま残しています。
そして中に入ると、、、、、、、
脱衣場もそのままの雰囲気で客席になっている。
浴場も昔のタイルを残して、活用している
内部も昔の銭湯の仕上げを綺麗にして、雰囲気を残して、カフェ&バーにしていました。
学生時代に下宿していたところに風呂がなく、銭湯に通っていたので、とても懐かしい雰囲気の中で修了課題の打合せ。
リノベーションは保存するのではなく、その建物の魅力を残して活用する事を改めて感じました。
また、行きたいなぁ~!
台風10号が通り過ぎ、また暑い日が続くようですね。
でも、朝晩は涼しくなった気がします。
さて、台風接近によって足助町・天王社さんの瓦葺きが延期になっていましたが、
今週の月曜日から瓦工事が始まりました。
最近は、耐震性向上などの理由で板金屋根が増えてきていますが、
日本建築にはやはり、和瓦がしっくりきますね。
波型の瓦は雨の多い日本の気候に合わせて形作られてきました。
雨水は木造建築の天敵の一つです。
いかに早く雨水を建築物から遠ざけるか考えられています。
この地域は日本3大瓦の産地である三州瓦の生産地(高浜市)も近いため、質の高い瓦が手に入ります。
そして、何よりもこのいぶし銀の色が渋く光っていてカッコいいですね。
この現場は小さなお社です。屋根面積が小さいけれど、屋根は少し反った形になっています。
なので、いぶし銀の瓦を反った屋根の形に一枚一枚すり合わせながら、職人さんが葺いていきます。
普段何気なく見ている屋根かもしれませんが、職人技が入っているんですよ。
出来上がった時、ピシッと瓦が並んでいる屋根は建築物の品を高めてくれます。
竣工の姿をぜひ楽しみにしていてください。
お盆が終わりましたね。
春から受講している京都市文化財マネージャー講座も終盤に差し掛かってきました。
京都市文化財マネージャーの資格は、ただ講義を受講して、
必要な知識を持てば良い!ではなく、修了課題をグループで作成して、
修了課題の発表と提出をしなければ取得することが出来ません。
修了課題では、築50年以上が経過しており、街並みの景観として保存すると良いと思われる建造物を見つけて、調査報告書にします。
通常講義とは別時間で調査、実測、報告書作成をしなければならないので、結構大変!!
と言う事で、グループのみんなで物件をピックアップして、所有者さんから調査をさせていただくことに快諾をいただきましたので、
8月16日、17日と二日間かけて実測調査に行ってきました。
私たちが調査する建造物は、銀閣寺近くにある医院付き住宅です。
医院部分は洋風建築になっていて、住宅部分が日本建築の作りになっています。
そして、調査で小屋裏に入ると、、、、、、
棟木に上棟の日付と職人さんの名前が墨書きされていました。
『上棟昭和九
棟梁松田芳太郎 左官早田嘉吉 手傳岩田幸次郎
瓦土淵利 樋〇川 木材廣田定』(*一部 変換できない文字があります)
明治~大正期に洋風建築に似せた医院建築が観られます。
この建造物もその類なのかもしれません。
玄関に入ると受付の小窓がありました。
昭和レトロな感じが漂っていますよね。
今度は、地域の歴史やこの建造物の沿革などを聞き取りや古地図などから調べます。
どんな歴史があるのか楽しみですね。
8月16日、京都は送り火の日です。
調査が終わった後、グループのメンバーと送り火を見ました。
あぁ、夏も終わりだなぁ~。